第5号
酒、蕎麦、芝居
河竹登志夫

 大江戸の雪の夜。
舞台は吉原のさんざめきをよそにひっそりと立つ、一見の小さな蕎麦屋。そこへしのんできたおたずね者の直侍こと片岡直次郎が、あるじに小声で言う。
「天ぷらで一合つけてくんねえ」
「あいにく天はやまになりました」
「なけりゃあ、ただのかけでいい」
盃のごみを箸の先でチョチョッとはじいてのむ、わびしい酒。 ただ、この場だけは、小道具でない本ものの蕎麦を食べなければ、庶民生活をリアルにえがく生世話物の味が出ない。
 河竹黙阿弥の名作「河内山の直侍」の「入谷村そば屋の場」。十五代羽左衛門の直侍が天下一品だった。戦時中、この一幕の羽左のために、取締りの目をぬすんで蕎麦をとどけつづけた蕎麦屋さんがあったという。
 食べ終わって外へ出た直侍は、ばったり仲間の暗闇の丑松に逢う。が、たがいに追われる身、すぐ別れなければならない。
「長い別れになる二人、どこぞで一杯やりてえが」
「町と違って入谷じゃあ」
「食いもの店は蕎麦屋ばかり」
「天か玉子抜きでのむのも、しみったれな話だから」
「祝いのばしてこのままに、別れて行くもふる雪より…………」
二人はそのまま、ふりしきる雪のなかを別れて行く…。
 しかしいつもこの場へくると、酒好き蕎麦好きの私としては、曾父母ながら作者の黙阿弥に文句が言いたくなる。どうして二人に蕎麦屋でのませてやらなかったのだ―と。昔から蕎麦屋の酒はいいときまっているし、のんだあとの蕎麦くらいうまいものはないんだから。でもそれじゃあ芝居にならねぇと、叱られるのはわかっているのだが。

河竹登志夫 (かわたけとしお)
早大名誉教授・演劇研究家
1924年東京生まれ。著書に「比較演劇学」 「歌舞伎美論」 「河竹登志夫歌舞伎論集」 「黙阿弥」 「作者の家」、随筆集に「酒は道づれ」 「人生に食あり」 他

句や歌の中の蕎麦(四)

大仁にて越年
ゆく年や蕎麦にかけたる海苔の艶

久保田万太郎

作者は東京浅草生まれ。 下町の生活と情緒を愛し、好んで市井人の生活を書いた作家・劇作家・俳人です。浅草神社(三社様)の境内に句碑がある「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」の句は有名。また、「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」に代表されるような食べ物に関する句も多く詠んでいます。戸板康二氏の著書「万太郎俳句評釈」(富士見書房)によれば、「万太郎はそばが好きで、(中略)そばの食べ方は、さすがに東京人らしく上手で、せっかちであった。」と、
そして、そばの句、
蓮玉庵主人に示す。
蓮枯れたりかくててんぷら蕎麦の味

また、次のような句もあります。
神田連雀町薮蕎麦にて病後の花柳章太郎とありて
らんぎりのうてる間まつや若楓

らんぎりとは、玉子の黄身をつなぎにして打った変わりそば。連雀町とあるのは現在の淡路町のことです。病み上がりの新派の名優に気を使い、好きなお酒も我慢して、庭でも眺めながら、らんぎりを待っていたのでしょうか。万太郎の優しさも垣間見えるような、昭和初めの一句です。
種ものあれこれ (江戸からつたわるそば屋の品書き)
江戸時代後期の風俗考証書『守貞漫稿』に、当時のそば屋の品書きが載っています。あんかけうどん、あられ、天ぷら、花まき、しっぽく、玉子とじ、鴨南蛮、親子南蛮、小田巻といった、お馴染み種ものが、既に揃っていました。花まきは、かけそばの上に浅草海苔をもみ散らしたもの。海苔の香りと、そばの風味が一緒に楽しめます。浅草海苔を「磯の花」に例えたことに由来する名称です。しっぽくは、当時、人気の種ものでしたが、具の似たおかめそばの出現により、その座を譲ることになります。
そのおかめそば、幕末の頃登場し、島田湯葉、松茸の薄切り、蒲鉾などの具を使って、おかめの愛嬌のある顔に仕上げるというもの。この洒落っ気が江戸っ子の心を捉えたのか、江戸市中にも広まり、その後、さまざまな「おかめの顔」が登場するのです。


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